わたしが体外受精を選んだ理由|夫婦で乗り越えた3年間の妊活ストーリー

育児

① はじめに

妊活のことって、なかなか人に話しづらくて、
不安や焦りをひとりで抱え込みがち ですよね。

私自身も例外ではなく、3年間の妊活のなかで、
孤独や焦りと静かに向き合う時期がありました。


私は母親になれないのかな…
どうして私のところには赤ちゃんが来てくれないんだろう…

そんな思いが頭の中でぐるぐると繰り返され、
誰にも言えないまま胸の奥に溜め込んでいました。

喜ばしいはずの周囲の妊娠報告を素直に喜べない自分に落ち込んだり、
毎月の生理に泣きたくなる夜もありました。


このエッセイは、あの頃の自分と同じように
妊活で悩む誰かに、少しでも寄り添えたら——
そんな願いを込めて書いています。

今どんな気持ちでこの記事にたどり着いたとしても、
その思いは決して、あなただけのものではありません。


② 妊活を始めた頃のこと

私は27歳で、同い年の夫と結婚しました。
お互いに子どもが好きで、付き合っていた頃から
「いつか二人の間にも子どもが欲しいね」と話していました。
結婚後もその気持ちは変わらず、むしろ強くなるばかりでした。


結婚してすぐ、私たちは自然と妊活を始めました。
当時取り組んでいたのは、いわゆる 自己流のタイミング法 です。

アプリに生理があった日を入力し、予測される排卵日を確認して、
その前後に夫婦生活を持つ——そんなシンプルな方法でした。

「これで赤ちゃんが来てくれたらいいな」と願いながら、
未来に期待を膨らませていたあの頃。
まさか、この妊活が長い道のりになるとは、まだ想像もしていませんでした。


③ 不妊治療へ踏み出したきっかけ

自己流のタイミング法で妊活を始めて2年が経った頃、
私たちのもとには、まだ赤ちゃんは来ていませんでした。

「排卵日の前後にタイミングをとっているのに、どうして…」
「来月こそは上手くいくかな…」

期待と不安が入り混じったモヤモヤした気持ちを抱えながら過ごす日々。
そんな時、同じ時期に結婚した友人から、第一子出産の報告が届きました。


仲の良い友人だったので、お祝いしたい気持ちはもちろんありました。
でもその一方で、心から“おめでとう”と言えない自分 がいました。

今振り返れば、あの頃の私は強い焦りと、
「なぜ自分には授からないのか」という苛立ちに押しつぶされそうになっていたのだと思います。


生理予定日が近づくたびに、下腹部の違和感を
「もしかして妊娠初期症状かも…」と期待してソワソワする日々。
そして、生理が始まると「また今月もダメだった」と落ち込み、
ひとりで泣いてしまう夜もありました。

こんな日々がいつまで続くのだろう。
そう思ったある日、私は夫に「一度、お互いに検査を受けに行こう」と伝えました。

それが、私たちが不妊治療に踏み出す最初のきっかけになりました。


④ 検査でわかったことと、治療を始めた時の気持ち

まず私たちは、不妊治療を専門にしている県内の病院を受診しました。
これまでの妊活の経緯を先生に伝え、どの検査を進めていくかを一つずつ話し合いました。

いくつかの検査を受けていく中で、原因が判明したのが、
「卵管造影検査」 でした。


卵管造影検査とは、卵子の通り道である 卵管がしっかり通っているか を調べる検査です。
その結果、私の場合は片側の卵管が塞がっている ことがわかりました。

卵管が塞がっていると、精子と卵子が出会うことができません。
さらに、後日行ったエコー検査では、
排卵が「塞がっている側の卵巣」からしか起きていない こともわかりました。


つまり——
卵子は育っていても、卵管が塞がっているために精子と出会うことができていなかった。
これが、私たち夫婦の不妊の理由でした。


お医者さんからは、
体外受精へのステップアップを考えてみませんか?
と提案がありました。

原因が自分にあったと知った瞬間、
「私が足を引っ張っていたのかな…」と、胸がギュッと苦しくなったのを覚えています。

けれど夫はこう言ってくれました。

「原因が明確になったことで、次に進む道がはっきりしたね。
検査を受けてくれてありがとう。」

その言葉に、どれだけ救われたかわかりません。

治療の道は決して簡単ではないけれど、
“ふたりで進んでいく” ことが、私の大きな支えになりました。

⑤ 体外受精を決めた理由

「卵子は育っているのに、精子と出会えない」——その事実は、想像以上にショックでした。
それでも、どうにか自然妊娠の可能性を探したい気持ちはありましたが、先生から「この状態だとタイミング法や人工授精ではなかなか結果につながりにくい」と説明を受け、現実と向き合う必要があるのだと感じました。

先生から体外受精を勧められて、私たち夫婦はすぐにその道を選びました。
もともと「今すぐに子どもが欲しい」という気持ちが強かった私たちは、迷いはありませんでした。
体外受精をしてもすぐに授かる確証はありません。それでも、我が子に会える可能性を信じて、今できるベストを尽くしたい——そんな前向きな気持ちで決断したのを今でも覚えています。

私たちが体外受精を選んだ一番の理由は、“妊娠の可能性をきちんとつかみにいきたい”という思いでした。
体外受精なら、卵子と精子を確実に出会わせてもらえる。これまで何度も空振りしてしまっていた「出会うチャンス」を、自分たちの手でつくることができる——その希望が、前に進む勇気になりました。

⑥ 治療を進める中での気づき

私たちは体外受精専門のクリニックへ転院しました。朝早い日は7時台から来院することもありましたが、すでに院内には体外受精の治療を受けに来ている方がたくさんいました。年齢はバラバラですが、「ここにいる人はみんな赤ちゃんに会うために勇気を出して来ているんだ」と思うと、不思議と心が温かくなったのを覚えています。
まるで同志がたくさんいるような気持ちになり、来院するたびに「ここで頑張る人たち全員の元に、どうか赤ちゃんがやってきますように」と願わずにはいられませんでした。

採卵は病院の方針で無麻酔で行われました。手術台に自ら上がるときはとても緊張し、少し恐怖も感じていました。それでも「赤ちゃんに会うための第一歩だ」と自分に言い聞かせ、痛みに耐えることができたと思います。

そして、お腹に受精卵を戻すときにはエコーでその瞬間を見せてもらいました。小さな受精卵が自分のお腹の中にいることを確認できて、胸がじんわりと温かくなりました。
その後の数週間は体調に大きな変化はありませんでしたが、それでも「今、私は妊娠しているんだ」と思えることで、自然と前向きな気持ちになれました。

⑦ 体外受精を選んで良かったと思うこと

体外受精では、採卵した卵子が受精し、受精卵として育っていく姿を写真で見ることができます。初めて受精卵の写真を見たとき、「この子が私の赤ちゃんなんだ」と胸がぎゅっと温かくなりました。とても小さな命の始まりから成長を見守ることができたことは、体外受精ならではの特別な経験だったと思います。

私は体外受精の末に子どもを授かることができましたが、妊娠することがこれほど大変だとは思いもしませんでした。
何度も病院に通い、先生の指示通りに薬を飲み、自己注射をしたこともあります。当時は奈良県から東京都の病院へ通っていたため、移動時間も長く、交通費も決して安くはありませんでした。

それでも、未来で赤ちゃんを抱きしめる瞬間を想像すると、不思議なほど前に進む力が湧いてきました。がむしゃらに頑張れたのは、その未来を信じていたからだと思います。

妊活の期間を通して、「子どもを授かるということは、奇跡の連続なんだ」と心から感じました。体外受精を選んだからこそ得られた気づきや経験が、今の私の宝物になっています。

⑧ 最後に

不妊治療は、よく「終わりの見えないトンネルを走っているようだ」と言われます。
どれだけ頑張っても、どれだけ願っても、すぐに報われないことがある——その苦しさは、経験した人にしか分からないものだと思います。

今、あなたがもし同じ悩みに向き合いながら、立ち止まりたくなっていたり、「もう辞めたい」と思っていたりするのなら…その気持ちは、とても自然なことです。
そして私は、どんな選択をしても間違いではないと強く思っています。

続けることも、休むことも、やめることも、その時のあなたにとって必要な選択です。
どうか自分を責めず、あなた自身の心と体をいちばん大切にしてほしいです。

不妊治療は一人で戦うものではありません。
どんな道を選んでも、あなたの人生の価値は少しも変わりませんし、その選択はきっとあなたを優しく守る道につながっていきます。

あなたの未来に、どうか少しでも光が届きますように。

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